
自分がよく通る千日前大通り沿いに、最近、古本屋ができた。
国立文楽劇場の向かいに建ち、大きなオレンジ色のテント屋根がよく目立つ。
店に入ってみると映画・演劇・芸能関係の古本が多く、自分としてはちょっと驚いてしまうような古い演劇の本があったりするので面白い。
どうやら他にも店舗があるらしく、マニアには結構有名な古本屋のようだ。
しかしそれよりこの店、テントに書いてあるコピー(宣伝文句)がちょっと気になる。
本より散歩
本より昼めし
本より恋愛
本より映画
古本のオギノ
「昼めしより本」ではない。「本より昼めし」である。
広告の手法に「ネガティブアプローチ」というのがあるが(「この商品はいいですよ」とポジティブに良いところだけを宣伝するのではなく、あえて「こんなダメな部分もあるんですが…」とマイナスな感じの面を出して、信頼感や親近感なんかを増す手法が「ネガティブアプローチ」)、これはネガティブアプローチだろうか。つまり、「家でちまちま本なんか読むより、映画をみたり、デートをしたりする方がよっぽどおもしろいですよねー。わかってますよー。でもね、本も捨てたもんじゃないですよねー。まあ、気が向いたらお気軽にー。」と、謙虚な姿勢を押し出して親近感を持ってもらう広告手法だろうか。
自分は、このコピーを眺めながら考え込んでしまった。
「本より映画」
まあこれはなんとなくわかる。この古本屋には、非常にマニアックな映画関係の本やパンフやポスターがそろっているからだ。映画好きが古い映画パンフや映画評論を買う場合、好きなのは本ではなく映画である。ならば当然「本より映画」である。そうか。つまりこれはネガティブアプローチでもなんでもなく、「この店は本より映画が好きな人のための本屋である」という高らかな宣言なのだ。
「本より恋愛」
これはどうだ。このコピーを読むと、自分はどうしてもこれを書いた店主の過去に思いを馳せてしまう。店主はもともと大の本好きで、子供の頃から本ばかり読んでいた。町の人々は彼のことを本の虫なんて呼んでいた。しかし、そんな彼にも恋人ができた。(中略)やがて恋人は悲しい顔をして去って行ってしまった。「あなたには私より本が大事なのね」店主の後悔は深い。そのことを思い返して店主はつぶやく、「万巻の書物より、一つの恋愛に勝るものなし」。この本屋にやってくる本好きな若者に対する店主の戒めが聞こえてくるようだ。「本は確かに魅力的だが、めりこみすぎて実際の町に出て人生を生きることを忘れてはいけないよ」と。そう。これは、戒めだ。
しかし、「本より昼めし」とは何だろう。
わざわざ「本」と「昼めし」の価値を比べて天秤にかける人がいるだろうか。大体、ジャンルが全く違う。…いや…ある…「本」と「昼めし」を天秤にかけるたことが、自分にもある。「この本、手放したくないけど、売ったら結構お金になりそうだしなあ。どうしようかなあ」と。そう。お金がなくて古本屋に本を売ろうか迷ったとき…。つまり、これは「金に困ったら、ここへ本を売りに来なさいよ。本なんか腹の足しにはならんでしょ。本より昼めしでしょ」という古本買取の広告なのだ。
「本より散歩」
…わからない。なぜ本と散歩を天秤にかけたのか。「本なんか読むよりそのへんを散歩した方が健康にもいいし、よっぽど面白い発見があるよ」ということだろうか。しかしなんでそんなにへりくだる必要があるのだろうか。なにせ映画とか恋愛とか昼めしとかに比べて散歩はさりげなさ過ぎる。昼めしも結構さりげないかもしれないが、人は食べなければ生きていけない。散歩なんかしなくても人は生きていける。…はっ!…本なんかなくても人は生きていける。そういう意味で言えば散歩とかわりはない。なのになぜ人は散歩をするのか、本を読むのか。思索し、より良き、より深き人生を求めるからである。もっと言えば、本より散歩の方がまだ、体を使う分実利的(?)だ。なのに人は何かを求めて、本を読む。
つまり、わかりやすい宣伝文句に翻訳すると、
(本より映画→)映画マニア垂涎もの。
(本より恋愛→)内容保障。ハマりすぎにご注意。
(本より昼めし→)高価買取いたします。
(本より散歩→)ハウトゥ本はありません。
(古本のオギノ→)本の虫
となる。
ならんか。
しかし、なんで「食事」とかではなしに、わざわざ「昼めし」なんだろう。
とにかく気になる看板だ。
まあ、自分もちょっと気になり過ぎかもしれないが。
posted by うえだいっけん at 08:36| 大阪 ☀|
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