2008年02月27日

メイキング・オブ・法廷型A

Q2.jpg 法廷の模型を作らなくてはいけない。
 「ところで、キューピーちゃんというのは登録商標とか著作権とか、ないのかな?」作り出す前にちょっと心配になった。
 ネットで調べてみる。
 「1909年に米国のイラストレイター、ローズ・オニール(1874年6月25日-1944年4月6日)によって創られたキャラクターである」だそうだ。「キユーピーマヨネーズ」が作り出したもんではなかったようだ。他にもキューピーちゃんをマスコットキャラにした企業はあるようだ。いろいろ著作権や商標の訴訟があったようだけど、まあ、一応大丈夫のようだ。キャラクターグッズも百花繚乱で、キューピーちゃんにいろいろコスプレさせるキュージョンなるグッズもはやってるらしい。・・・いやあしかし、便利になったものだ。今は何でもネットですぐ調べられる。芝居作るにも、ネットがなかったときは、本屋や図書館行ってもわからないし、どうやって調べたらいいのかわからないことってたくさんあったが、今は検索一発で思わぬことまでわかったりする。若い人たちは携帯電話がない時代の実感なんて想像できないだろうが、そのぐらい革新的な違いだ。便利すぎてちょっと怖いくらいだ。
 話が逸れた。
 キューピーちゃんの服と髪の毛の制作は、手伝ってくれる鎌江ちゃんの担当ということにし、頼む。
 先日買ったキューピーはちょっと小さいということで、一回り大きいのを6体買ってくる。
 建物づくりは自分が担当。
 壁紙は百均で買ったもの。
 しかし最近の百均の品揃えはほんとにすごいことになっている。百均がなかった頃から考えればえらい便利で安上がりになった。最近は小道具作りに百均は欠かせない存在だ。まず百均を探索しないと同じものを高く買ってしまって後悔することになる。
 話が逸れた。
 法廷の模型を作らなくてはいけない。
 初めてのことで焦るが、まだどうやって作ったらいいか考え中。

posted by うえだいっけん at 22:12| 大阪 ☀| 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月22日

メイキング・オブ・法廷型@

Q1.jpg 法廷の模型を作らなくてはならなくなってしまった。
 この前、スクエアのメンバーで、次回公演『法廷式』のフライヤをどんなのにするか話し合ったとき、「法廷の模型を作って、それを出演者たちが覗き込んでいるというのが、良いんじゃないの?」と自分が言って、それでいくことにしたからだ。
 でも、誰がその模型を作るのか?
 自分が作るしかないのである。
 しかし、どうやって作ればよいやらさっぱりわからない。何を材料に、どんなものを作ればよいのかすらわからない。自分で言いだしたくせに。
 宣伝美術の坂本さんと相談。
 手伝ってくれることになった演出部の小道具担当、鎌江ちゃんにも相談。
 だいたいの方向性が決まった。
 一番悩んでたフィギュアの造形は、キューピー人形を加工することにした。
 構造物は、雑貨屋さん、百円均一の店、東急ハンズなんかを探索し、百均で売ってった発泡スチロールの板を加工して作ることに決める。
 予算も1万円と決める。
 キューピー人形なんかどこに売ってるのだろうと思って、探してると、ユザワヤにあった。ユザワヤはもともと手芸用品屋さんだと思うが、今や「ユザワヤは、創業53年を迎える日本最大級の手芸用品・生地・ホビー材料の大型専門店です。世界中のあらゆる手作り手芸用品・ホビー材料や用具を揃えています。世界最大級といっても過言ではありません。」だそうである。確かにいろんなものが置いてある。これから何回か足を運ぶことになるだろう。とりあえず、キューピーちゃんをひとつ買って帰る。
 キューピーとスチロールの板を眺めながら、ここからどうしたものかと思案する。
 撮影は3月のはじめ。
 自分は、そういうのを作った経験全く無し。
 うまくいくのか・・・自分で言い出したくせに。



posted by うえだいっけん at 19:22| 大阪 ☀| 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

他人の絵馬

自分がはじめたこのブログ、「なんか読むのが大変」的なことを言われたので、もうちょっと軽くいこうと思う。
 思うよ。

 なぜか東大寺に行った。
 ふと近鉄電車に乗ってしまい、行ってきたよ。
 大仏はやっぱり大きかった。
 大きいものに人は弱いんだよなあ、と思う。
 絵馬があった。合格祈願が多かった。
 人は祈ってしまうんだよなあと思う。
 神社やお寺で見つけたおもしろい絵馬、気になる絵馬を紹介してるサイトがよくあるが、自分も東大寺で少し見つけたのでちょっとやってみよう。
 まず、一つ目。

08219-1.jpg 

  「国家試験合格したい」

 うむ。一見、オーソドックス。
 でも、「したい」って、何かに祈るという感じじゃないなあ。
 それに「国家試験」て、何の「国家試験」なのか?何でもいいのか?
 神様の方も「国家試験合格したい」と言われても、「ああそう」という感じになりはしないか?あ、お寺だから神様じゃなくて、仏様か。でも、仏様って、願いをかなえてくれるんだろうか。そういえば仏教って「執着を捨てよ」って教えじゃないのか。それなのに「恋人ができますように」とか「金持ちになれますように」とか煩悩まみれな祈願札の数々。どういうことだ。
 話が逸れたよ。
 絵馬、二つ目。

08219-2.jpg

  「小学校入学できますように」

 祈願しなくともできるのではないだろうか。
 「無事に」ということだろうか。
 これよく見ると、子供自身が書いたものではない。小学校に入る前の子供が書いた字だとは思えない。明らかに親が代わりに書いた字だ。
 横に添えてある「よしだ」という激しくへたくそな字が子供自身の字だ。「この子が無事に小学校に入学できますように」っていう親の祈りか。
 三つ目。

08219-3.jpg

  「中、高、大を受かりますように」

 欲張りすぎ!
 しかも簡略化しすぎ!
 最後、四つ目。

08219-4.jpg

  「東海大学医学部に自分の力で受かりますように」

 じゃあ大仏に頼るな!

posted by うえだいっけん at 11:07| 大阪 ☀| 風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

気になる古本屋

08-02-13.jpg 自分がよく通る千日前大通り沿いに、最近、古本屋ができた。
 国立文楽劇場の向かいに建ち、大きなオレンジ色のテント屋根がよく目立つ。
 店に入ってみると映画・演劇・芸能関係の古本が多く、自分としてはちょっと驚いてしまうような古い演劇の本があったりするので面白い。
 どうやら他にも店舗があるらしく、マニアには結構有名な古本屋のようだ。
 しかしそれよりこの店、テントに書いてあるコピー(宣伝文句)がちょっと気になる。

  本より散歩
  本より昼めし
  本より恋愛
  本より映画
        古本のオギノ

 「昼めしより本」ではない。「本より昼めし」である。
 広告の手法に「ネガティブアプローチ」というのがあるが(「この商品はいいですよ」とポジティブに良いところだけを宣伝するのではなく、あえて「こんなダメな部分もあるんですが…」とマイナスな感じの面を出して、信頼感や親近感なんかを増す手法が「ネガティブアプローチ」)、これはネガティブアプローチだろうか。つまり、「家でちまちま本なんか読むより、映画をみたり、デートをしたりする方がよっぽどおもしろいですよねー。わかってますよー。でもね、本も捨てたもんじゃないですよねー。まあ、気が向いたらお気軽にー。」と、謙虚な姿勢を押し出して親近感を持ってもらう広告手法だろうか。
 自分は、このコピーを眺めながら考え込んでしまった。
 「本より映画」
 まあこれはなんとなくわかる。この古本屋には、非常にマニアックな映画関係の本やパンフやポスターがそろっているからだ。映画好きが古い映画パンフや映画評論を買う場合、好きなのは本ではなく映画である。ならば当然「本より映画」である。そうか。つまりこれはネガティブアプローチでもなんでもなく、「この店は本より映画が好きな人のための本屋である」という高らかな宣言なのだ。
 「本より恋愛」
 これはどうだ。このコピーを読むと、自分はどうしてもこれを書いた店主の過去に思いを馳せてしまう。店主はもともと大の本好きで、子供の頃から本ばかり読んでいた。町の人々は彼のことを本の虫なんて呼んでいた。しかし、そんな彼にも恋人ができた。(中略)やがて恋人は悲しい顔をして去って行ってしまった。「あなたには私より本が大事なのね」店主の後悔は深い。そのことを思い返して店主はつぶやく、「万巻の書物より、一つの恋愛に勝るものなし」。この本屋にやってくる本好きな若者に対する店主の戒めが聞こえてくるようだ。「本は確かに魅力的だが、めりこみすぎて実際の町に出て人生を生きることを忘れてはいけないよ」と。そう。これは、戒めだ。
 しかし、「本より昼めし」とは何だろう。
 わざわざ「本」と「昼めし」の価値を比べて天秤にかける人がいるだろうか。大体、ジャンルが全く違う。…いや…ある…「本」と「昼めし」を天秤にかけるたことが、自分にもある。「この本、手放したくないけど、売ったら結構お金になりそうだしなあ。どうしようかなあ」と。そう。お金がなくて古本屋に本を売ろうか迷ったとき…。つまり、これは「金に困ったら、ここへ本を売りに来なさいよ。本なんか腹の足しにはならんでしょ。本より昼めしでしょ」という古本買取の広告なのだ。
 「本より散歩」
 …わからない。なぜ本と散歩を天秤にかけたのか。「本なんか読むよりそのへんを散歩した方が健康にもいいし、よっぽど面白い発見があるよ」ということだろうか。しかしなんでそんなにへりくだる必要があるのだろうか。なにせ映画とか恋愛とか昼めしとかに比べて散歩はさりげなさ過ぎる。昼めしも結構さりげないかもしれないが、人は食べなければ生きていけない。散歩なんかしなくても人は生きていける。…はっ!…本なんかなくても人は生きていける。そういう意味で言えば散歩とかわりはない。なのになぜ人は散歩をするのか、本を読むのか。思索し、より良き、より深き人生を求めるからである。もっと言えば、本より散歩の方がまだ、体を使う分実利的(?)だ。なのに人は何かを求めて、本を読む。

 つまり、わかりやすい宣伝文句に翻訳すると、

  (本より映画→)映画マニア垂涎もの。
  (本より恋愛→)内容保障。ハマりすぎにご注意。
  (本より昼めし→)高価買取いたします。
  (本より散歩→)ハウトゥ本はありません。
       (古本のオギノ→)本の虫

 となる。

 ならんか。

 しかし、なんで「食事」とかではなしに、わざわざ「昼めし」なんだろう。
 とにかく気になる看板だ。
 まあ、自分もちょっと気になり過ぎかもしれないが。

posted by うえだいっけん at 08:36| 大阪 ☀| 風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

作文

08-02-10.jpg 前の文を書いたのはもう4日前か。
 時の経つのは早い。
 こんなものを書くことになった自分は、なにを隠そう小学校の頃から作文を書くのが大の苦手だ。
 今の義務教育でもそうなのだろうか、自分らが小学校中学校の頃は何かにつけて作文を書かされた。
 新学期といえば作文。学期が終わるといえば作文。遠足から帰れば作文。本を読んでは感想文。夏休みといえば日記。なんの変哲もない日の五時間目にいきなり原稿用紙を配られ、作文書きなさいと言われたこともあった。
 作文は大嫌いだった。
 小学校の夏休みも数日過ぎたある日、自分は日記が書けなくて母親に泣きついた。「今日は何も書くことがない」と。
 そしたら母親は、「じゃあ、書くことがないって書いといたら?」とあっさりこたえた。
 子供ながらに「そりゃ何でもあんまりだろう」と思ったが、考えてみれば、「『書くことがない』ということ自体も、書くことだなあ」などと思い直した。
そして、小学生の日記にしてはちょっとアバンギャルドすぎるのではないかと心配しながらも、言われたとおり「今日は書くことがない」と書いてみた。そしたら…ちょっと自由になった。
 自由になったので、雲のことを書いた。雲というのは空に浮かぶあの雲のことだ。なぜかわからないが雲のことを書いた。「書くことがない」というのは消しゴムで消して、あんな雲、こんな雲…と、ただ雲を描写した。
 書いた後、「だからなに?」とは思ったが、そのまま提出した。すると、それが意外にも先生に褒められた。「一編の詩のようだ」と。詩というものがどういうものなのかよくはわからなかったが、褒められた自分は単純にも「おれには作文の才能があるのかも知れん」と思い始めた。
 そして自分はだんだんと技巧に凝り始めた。面白く書こうとか、それらしく書こうとか、自分なりに工夫し始めた。またもや褒められた。褒められた自分は、褒められた作文を読み返したりなんかした。
 しかし、技巧に凝りすぎると、今度はなんだか嘘をついてるように感じ始めた。書きたいことが曖昧なときには技巧に走ったり、なんかのマネで乗り切ったり、感じてもないことをそれっぽく書いたりし始めたからだ。
 大学に入った頃、決意して日記を書きはじめた。自分は文章を書くのが苦手だと思っていたが、なんとこれは毎日書けた。読む人を意識しないで思いのまま書いた。大学時代は時間を持て余していて、日記ばかり書くようになった。そのうち日記を書く為に生きているような状態になり、このままではやばいと、「禁日記」した。今その日記を読み返すと、めちゃくちゃ独りよがりで読むに耐えない。
 自分の書いた一番面白い文章は、おそらく小学1年生の時に作った植物採集に添えられた短い文章だ。文章も字もへたくそすぎるが、それぞれの植物を採取したときの気持ちがありありと迫ってきて面白い。残念ながら何年も前にどこかへなくしてしまったが。

posted by うえだいっけん at 10:22| 大阪 ☀| 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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